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八幡山史跡群

概要

【八幡山概要】  立地など

・集落東の県道山側に生い茂る亜熱帯的照葉樹林を八幡山と呼んでいる。
・ここに多数の史跡がまとまっており、石塔が多数あって墓地であったと思われる
・村落の氏神(八幡神社)や民俗信仰の対象(お産神)もあり、古くから住民のよりどころとなっていた様子が伺える
・現在も生活館、集落グランド、小学校、幼稚園、消防車庫など公共施設が隣接しており、集落の中心をなしている。
・ここには町天然記念物のカンノンチクも見られ、史跡を巡る遊歩道が整備されている。

【史跡群】(文献①、文献②参照記述)

相良市郎兵衛藤原長政の墓(だんなじいが墓)*町指定文化財
・薩摩藩江戸藩邸の御庭奉行であった相良市郎兵衛は、お由羅騒動のお由羅の妹の夫であり、斉彬派として平内村での隠居を命じられた。
・その後12年間平内で暮らし、文久2/1862年に亡くなった。
・平内に多い相良姓の祖先といわれ、今も花が絶えない。

西村越前守平時安の墓    町指定文化財

・種子島氏の武将で、秀吉との戦いや朝鮮の役で戦功をあげて尊敬されていたという。
・病気治療のため平内に滞在したが慶長4/1599年5月に没したと慕碑にある。
・碑文には温泉湯治のため屋久島に渡ったとあるが、これが平内海中温泉の歴史初出にあたる。

青年神社(頴娃主水親智の墓?・ショウゲサマ)

・島津家の家臣の頴娃主水の墓ではないかとの説もあり、墓碑と供養塔、五輪塔もあることから身分の高い武将と思われる。
・頴娃主水は朝鮮の役で島津家当主の勘気にふれて切腹を命じられたが、その武勇を惜しむ家老達が平内に遠島したという。
・しかし、11年後の元和7年(1621年)当主から派遣された使者の前で切腹したとの記録がある。
・主水の人柄と武勇をしのんで住民が祠を建てたといわれている。

旧歴10月23日が祭日で、かつては弁当持参でお祝いをしたという。

・70年ほど前から青年たちが管理するようになり、青年神社の名前がある。
・元は石塔だけであったが、昭和58年に遺徳を讃えて青年たちが木造の上屋を建てた。

お産の神(繁盛神ハンジョガミ) (文献③参照記述)

・鬼子の誕生を避ける願いと、安産を願う祈りを込めて祀られる神様で、屋久島各所にある。
・平内のお産神は五輪塔で、下部の丸石が妊婦を連想させるかわいらしい姿をしている。
・伝説とも関わりのある民俗的な信仰で、絶えることなく花が供えられ、今も生きている民俗文化の証といえる。
八幡神社・岩川連得大師の墓 
≪八幡神社・岩川連得大師の墓――リンク≫


【文献・資料】
文献① 屋久町郷土史第1巻平内村落誌
文献② 平内区史跡巡り資料
文献③ 下野敏見「屋久島、もっと知りたい」人とくらし編

写真

八幡山史跡群

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県道の上方に八幡山の森が繁っている。

八幡山史跡群

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町天然記念物カンノンチク

八幡山史跡群

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散見される石塔は墓名碑や供養塔と思われる。

八幡山史跡群

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八幡山の史跡を巡る遊歩道。

八幡山史跡群

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町文化財史跡相良市郎兵衛の墓。

八幡山史跡群

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相良市郎兵衛の墓。

八幡山史跡群

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相良市郎兵衛の墓。

八幡山史跡群

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西村越前守時安の墓

八幡山史跡群

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西村越前守時安の墓

八幡山史跡群

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西村越前守時安の墓 墓碑銘

八幡山史跡群

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青年神社(頴娃主水の墓)

八幡山史跡群

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青年神社(頴娃主水の墓)

八幡山史跡群

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八幡神社隣にある赤い鳥居のお産の神様

八幡山史跡群

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お産の神様

八幡山史跡群

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お祀りしてあるのは五輪塔

八幡山史跡群

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八幡神社

八幡山史跡群

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岩川連得大師の墓(インノコロン)

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