炭窯・餅田跡
概要
春牧区は安房森林鉄道が通る集落でもあり、小杉谷等山中の集落に暮らした経験のある林業従事者も多い。
また、山よりも近い場所にある林業として鳥モチの生産と炭作りもまた住民の記憶に残っている。餅田は現在痕跡も残ってはいないが、春牧区の山を歩くと今も炭焼き窯の痕跡はいたるところで見受けられ、屋久町郷土誌にも子細な記録が残されている。
【場所】
○餅田 苗畑の現弓道場がその跡地となる。
○炭窯 山中至る所に痕跡が残る。{屋久町郷土史に子細記録あり}森林軌道沿いに炭焼きの起点となる場所が複数あったが、インタビューでは貯木場から3キロ地点通称「3キロ」が住民の記憶に強く残されている様だった。
【詳細・聞き取り内容】
○餅田跡:苗畑の現弓道場跡地にコンクリートでできた餅田が五つ程あり、トロッコで束になった木の皮を運びおろしてきて投入、発酵してきた所を水車の動力で突き、トリモチとする。出来上がった製品は樽に入れられて出荷した。{※1}
トロッコの運転手は小杉谷の東さんだった。木に登り皮をはぐのは台湾から来た人であった。餅田には三か月程つけてトリモチを作った。
戦時中は煙を焚くと狙われる危険があるため、あまり行っていなかった。{※2}
○炭焼き窯:安房港貯木場より3キロ上がった地点・通称“3キロ”を拠点に七人が組合を作り炭を焼いていた。そこが現在有水さんの櫁柑山になっている。離合できる複線・水の補給ができる水源があった。{※3}
※1山田鶴さん 大正三年生まれ
※2佐々さん
※3栗野春子さん 昭和10年生まれ