春牧石塔群
概要
・春牧地区には横峯遺跡があるようにかなりの昔から人の住んでいた痕跡は残されており、地形からも人が暮らすにおいて好適地であることは確かなのだが、子細な記録は残されていない。
・しかし現本坊酒造敷地内とから石塔が掘り出され、同じ様に由来不明とされる石塔が春田に残されている事からも宗教活動を伴った人々の暮らしを窺い知る事ができる、貴重な資料となっている。
【場所】
○オデラ石塔 春田の共同墓地横、畑の手前の茂みの中。
○寄せ墓 盛久神社境内、本殿横。元々は隣の本坊酒造敷地内から移された
【詳細】
○オデラ石塔:大小数個の自然石{拝塔らしき物ひとつを含む}と、五輪の塔三基からなる。「オデラさん」として大切にされてきたとの事だが詳細は伝わっていない。
この地にはかつて五安寺という律宗の寺があったと伝わり、この石塔も関連するものと推測されるがしっかりとした資料は残っていない。{※資料1}
○寄せ墓:現本坊酒造建設の折掘り起こされ、今ある盛久神社境内に移された。盛久神社を管理した代々住職の墓である可能性がある。
門柱の様な山川石の石塔二門の奥に五輪塔が四基、他に多数の自然石から成る。
形の現存する五輪塔三基のうち 類似性が認められる2塔に関しては16世紀初頭の物、残る一つはさらに古いと考えられる。
残る自然石塔に関しては法華宗時代の物である可能性。{※以上すべて資料1}
【資料】
資料1 鹿児島民具 第24号 屋久島特集 2012年 鹿児島民具学会 著
屋久島町郷土誌