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釈迦堂

概要

本尊

・厨子の中に黒塗りの金属製の黒塗りの誕生仏。
・元の像は金色に輝く像だったが、廃仏毀釈のとき紛失した。

建立の経緯

・貞享元年(1684)に町田孫七が屋久島抑として着任。
・貞享2年(1686)に楠川の海岸に仏像が流れついた。
・貞享3年(1687)に町田孫七によって建立された。(別説)
・貞享5年(元禄元年)(1688)に町田孫七によって建立された。

その他情報

・慶長元年(1596)の供養塔「道本銘供養塔」も敷地に存在している。
・供養塔は年代との違いから釈迦堂との関係は無いようだ。
・中国、揚子江の金山寺が洪水で流されその仏像が流れ着いたと言われている。
・貞享5年(1688)島内18箇所の僧を集めて釈迦堂の供養を営んだ。
・宮之浦村に一つの村があって、釈迦山と呼んでいる。そこに唐木でつくった高さ六寸の如来木像を安置している。
・宮之浦に祀ったが、楠川へ戻ってしまった。三度それを繰り返したので、楠川の見えるところに祀った。
・今、屋久島では法華宗のほかに神社仏閣が無い。なんとかしてそれを造り、昔のように繁盛したいものだ。と孫七は言った。
・おた踊りは、町田孫七忠以が,釈迦堂を建立の落成縁起に屋久島中の僧侶が集まり善男善女が笠踊りを踊ったことが発祥とされている。

・釈迦堂の元の土地は久本寺の土地だった。
・釈迦堂は久本寺が管理している。
(久本寺)

【位地的情報】

・屋久島高校から西へ下った坂の途中のT字路、町民グランウドへ向かって右の丘にある。

【文献・資料】
・屋久島の民話紅の巻:
・屋久島もっと知りたい
・上屋久郷土誌

写真

敷地全景

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敷地全景右斜め前から

案内看板

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教育委員会の立てた案内看板

釈迦像

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厨子内部釈迦像

厨子

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厨子正面より

道本銘供養塔

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道本銘供養塔

厨子左正面

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厨子左正面から

手水鉢

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手水鉢

入口看板

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入口看板

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