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宮之浦川

概要

●唐船淵
・宮之浦川の川上にある。
・見透せない川底には花崗岩の大石が幾重にも重なり合って沈んでいる。
・崖下に鬱蒼として茂りあっている椎や樫、雑木の陰が黒ずんだ淵面に影を倒して不気味をなぞ一層深くしている。
・昔淵の真ん中に巻き石という大きな花崗岩があった。
・三艘の唐船がこの巻き石のため巻き込まれて沈没したという言い伝えから唐船淵の名が生まれたという言い伝えがある。
・密貿易の唐船の隠れ場所だったという伝説もある。
・昔は旧の3月3日にこの唐船淵から河口まで上屋久じゅうの若者が集まってオシブネの競争をした。
・押し舟とは、唐船淵から河口までの舟こぎ競争を言うのであった。
・遣唐使船が宮之浦川(唐船淵)を避難、水薪の補給地に利用されたらしい。
・異国に留学させられた有能な若者たちも、宮之浦川で語りあったことでしょう。
・鑑真ら遣唐使船が屋久島に寄港する
・天平勝宝5年(753)この年の12月7日、第10次遣唐使船(帰路)4艘のうち2艘が沖縄から屋久島につき、鑑真・大伴古麻呂・吉備真備を乗せた遣唐使船第二船、第三船が屋久島に寄港する。
・原題「唐船淵の主」民話がある。
・当時は宮之浦川の河口はもっと広く川床も深かったと予想され、大型船の寄港場所としてこの場所が適当だったと推測される。

●白浜
・春は桜が咲き、集落の憩いの場所となっている。
・川上に取水場の施設がある。
・中洲に大きな岩があり、その下は淵になっており、子供達が夏はここで泳いで遊ぶ。

●宮之浦橋
・長いこと、宮之浦川などを渡るには「繰渡船」に乗らなければならなかった。
・宮之浦川について 昭和3年に熊本営林局の手で設計が行われ、4年に起工、5年に竣工した。
・鉄筋コンクリート橋であり、長さ150m、幅4m、総工費25千円であった。
・戦災により昭和20年に一部破損し、昭和30年原形に復旧された。

写真

古橋左岸から全景

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古橋左岸から全景

橋中央より下流

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とうせんきょう橋中央より下流を望む

橋中央より上流

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とうせんきょう橋中央より上流を望む

橋右岸側より下流

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とうせんきょう橋右岸側より下流を望む

橋右岸側より上流

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とうせんきょう橋右岸側より上流を望む

橋銘板

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とうせんきょう橋銘板

全景

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白浜全景上流から

中央大岩と淵上流

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白浜中央大岩と淵上流から

中央大岩と淵下流

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白浜中央大岩と淵下流から

全景下流

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白浜上流風景

上流風景

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白浜上流風景

古橋全景

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古橋左岸から全景

古橋斜景

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古橋左岸から斜景

古橋通路

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古橋右岸から通路

古橋斜景

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古橋右岸から斜景

古橋斜景

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古橋左岸から斜景

古橋銘板

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古橋銘板(宮之浦川橋)

古橋銘板

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古橋銘板(昭和5年2月)

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