サバ節工場
概要
・サバ節工場群(移転地)
・一湊でのカツオ漁の始まりは、建仁2年(1202)、トビウオ漁の始まりは、天明3年(1783)、サバ漁の始まりは明治18年(1885)と言われている。
・サバ漁が主体となってから、サバ節を製造するようになった。
・サバ節製造工場が町中に多く点在しており、夜通し火を焚き、魚の脂に引火して火災になることが良くあった。
・昭和3年(1928)4月11日に発生した大火災は一湊の中心部にあった製造場から出火し、寺を含む西町・東町のほとんどが全焼した。
・同年10月、町なかにあったサバ節工場を一湊河口に集団移転した。
・この場所を一湊では現在も「移転地」と呼んでいる。
・文政5年(1822)諸国鰹節番付表(鰹節考)には大関薩摩役島節の記述あり。
【文献・資料】
・一湊街歩き資料