一湊共同墓地
概要
・一湊共同墓地 和顔の苑(わげんのその)
・墓の移転改良の問題は昭和5,6年ころから持ち上がっていた。
・墓地は小学校の校庭に隣接していた。
・土葬であったので、衛生上問題があるとされていた。
・小倉輝志区長の時代、改良の決議がされ、寺田正雄氏、辻愛蔵氏、斉藤一己氏が委員に氏名されたが実施にいたらす。
・昭和54年(1980)、森田忠男氏を委員長として墓地の整理開始。
・4000体の掘り起こし、焼却、整地実施。
・昭和55年(1981)、共同連結400基、独立型200基が完成。
・区会で第二期の工事が決議され、林益人氏が委員長となり完成。
・敷地左奥には日蓮宗の墓が残る。
【文献・資料】
一湊百年
一湊街歩き資料