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番屋峰防空監視小屋跡

概要

・番屋峰は古くから(ばんやね)と呼ばれていた。
・昭和16年(1941)から終戦まで種子島に駐屯する(仙吉部隊)が指揮にあたっていた。
・在郷軍人、青年団、女子青年団は監視所に日夜つめきりだった。
・吉田側の一番高いところに木造の監視所が設営され、中に4,5人の兵隊が勤務していたようだ。
・海川側の高い地点は露出の火点で、土の塹壕の中に2,3名勤務していたと記憶する。
・山にいた人数は兵隊と民間を合わせて20名程度と思う。
・終戦後、頂上まで芋などの耕作にあたられていた。
・一湊沖合は、藩政時代以前から多くの船の行き交う海上交通の要衝であった。
・薩摩藩の密貿易船や外国船などが頻繁に往来していた。
・それらを見張る為に、向かいの口永良部島の番ケ屋峰と一湊の番屋峰に監視所を設けられていた。
・地名の「番屋」は監視所があったことから名付けられたといわれる。
・一湊集落の中と、大浦の湯へ行く途中に番屋峰への登山道がある。
・防空監視小屋跡は番屋峰山頂よりわずか南に下った場所にある。
・その場所だけ不自然に盛り土がされたように盛り上がっている。
・この場所を掘って、監視小屋を建てたと言われている。
・海側に回ると無線機を設置した小壕の跡がある。
・岩盤を穿った跡が残っている。
・集落側へ僅か下った東には防空壕の跡がある。
・人がかがめば入れそうな大きさの壕が二つ並んで掘られている。
・いずれも固い岩盤を穿って掘られている。
・ここから山頂までの尾根はかつて塹壕が掘られており、現在は土砂で埋まってその跡がなんとなく伺える程度である。
・番屋峰山頂にはコンクリートで作られた漁業無線小屋の跡があり、その屋根上へ登れるように地元有志が階段を設置してある。
・屋根の上からは矢筈岳や一湊湾、一湊の集落が眼下に伺える。

【文献・資料】
一湊百年
一湊街歩き資料

写真

防空監視小屋跡

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防空監視小屋跡

番屋峰登山口(集落側)

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番屋峰登山口(集落側)

無線機器設置跡(小壕)

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無線機器設置跡(小壕)

防空壕跡

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防空壕跡

漁業無線小屋(番屋峰山頂:166.5m)

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漁業無線小屋(番屋峰山頂:166.5m)

山頂から眺望(矢筈岳:134.5m 方面)

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山頂から眺望(矢筈岳:134.5m 方面)

登山道から見た一湊集落

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登山道から見た一湊集落

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