永田岳神社
概要
祭祀:天津日高彦火火出見命(アマツヒコホホデノミコト)
・この神社の元の場所は現在の神社より山側にあったと言われる。
・巨岩が拝殿横にあり、正面に「南無妙法蓮華経 萬霊位 明暦3年(1657年2月大吉日)とある。
・ご神体は永田岳(益救神社宮司・大牟田氏談)。
・社内のご神体は4面とも真っ白な7寸画の屋久杉であるはず(柴鐵生氏談)。
・日増上人の来島から169年後であり、この題目は法華宗の力を永田住民に示すため、当時の僧侶が万霊を供養し、悪疫、災害の除去、村人の健康、作物の豊作を祈り、神社をこの時に移したものと考えられる。
・古くは益救神社の摂社格として、益救神社の例祭の時には永田岳神社の神官が出向する習わしがあった。
・永田岳の岳参りはこの神社で参拝してから、登り始める。
・民家の中心にあり、すぐ近くに中山神社がある。
永田岳神社大祭
・2015年1月5日。益救神社の大牟田宮司により、神事が行われた。
・(旧暦歯11月23日)近年は正月明けの1月5日に大祭が執り行われている。この日は平日ということもあり、永田の消防団が多く参加し、住民は20人ほど。
・「なおらい(神事の後に行う食事)」は各部落が当番制で行っている。