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七学童碑

概要

・明治40年(1907)2月13日午後12時10分頃、永田小学校からは永田川を挟んだ対岸の向江の自宅に昼食のため帰ろうとした永田小学校の児童42名が乗った渡船が沈没、子供たちは水中に投げ出された。
・殆どの者は自力あるいは他者の助けを借りて一命をとりとめたが、七人の子供達が犠牲者となってしまった。
・集落の人々は川を渡らずに通学が出来るよう向江に分校を設立することを提案するも容易に実現することは出来ず、代替案として当時さかんだったカツオ漁業で得た財を資本に、集落が全面的に費用負担する架橋事業を行うという策が決議された。
・児童7名の溺死という大惨事を機に、永田の事業として永田橋架橋を行う事になり、翌明治41年(1908年)5月16日に永田橋が完成した。
・3月に工事に着手、翌5月16日には完成した永田橋の落成式が行われた。通常ならば親子三代夫婦が欠けずに揃う血族に最初に渡橋させるならわしだったが、犠牲となった児童を悼む意もこめて一番初めに永田小学校の子供達に橋を渡らせたというエピソードが残っている。
・子供達は毎年夏に行われる読み聞かせの催しでこのエピソードを反芻し、大人たちも様々な形で折に触れ七学童の事件を認識している。

写真

七学童碑

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永田出張所の前、永田川の脇にひっそりとたつ。

七学童碑

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永田橋は集落の中央にかかり、永田岳がよく見える。

七学童碑

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永田橋への夕陽。

七学童碑

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七学童遭難記念碑裏面。字が読みにくい部分もある。

七学童授業

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永田小学校での七学童授業。

七学童授業

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永田小学校での七学童授業。

七学童授業

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永田小学校での七学童授業。

七学童授業

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遺族の方によるお話。

七学童授業

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永田小学校での七学童授業。亡くなった子たちへのお菓子。

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